人生 ああ鱈腹味わいたい

毒親疑惑の親が高齢になりまして・・・

上げ膳、据え膳

母は料理が苦手だったので

私が食事の支度や後片付けをすると

すごく喜んだ。

 

「上げ膳、据え膳でご飯が食べられて

これほど嬉しいことはないよ。」と

ニコニコして言った。

 

それもあって、実家に行った時は

私が食事を作るのが当たり前になっていた。

そのたびに「上げ膳、据え膳で嬉しい」

と喜んでいた。

 

普段の食事だけでなく、お正月もお盆も

親戚が集まる時も、私の役目になっていた。

あまりやる気がなくて作り出すのが遅れると

何時だと思ってるの! とか

早く作ってよ。と叱責がとんできた。

 

「上げ膳、据え膳」というのは、自分は

何もしなくても、食事が食べられて

後片付けも人にしてもらえることだと

思っていた。

旅館に泊まった時の食事のイメージだ。

 

ところが、それは一つのたとえであって

本来は「全て人にやってもらい、自分では

なにもしないこと」という意味だそうだ。

 

すごく納得した。

食事のことだけではない。

母はいろんな意味で上げ膳据え膳の人だった。

 

とにかく、できないと言うのだ。

新しいことを敬遠してしまう。

家電だって、なんでも私にやってと言うから

説明書を読めばわかるはず、自分でやって

みればと言っても、読もうともしない人だった。

 

そんな母だが、妹が実家に帰った時は違った。

上げ膳据え膳で妹をもてなした。

まるで母が旅館の従業員で、妹が客のような

至れり尽くせりのサービスに思えた。

 

母に言わせると、妹は旦那さんの両親と同居し

気苦労も多いから実家に帰った時くらいは

楽させてあげたい。

小春はいつも楽してるんだから、実家では色々

やってね、ということらしい。

 

確かに私は義理親と同居の気苦労はないけど

・・・そこまで露骨に差をつけられると

寂しい気がした。

 

やはり母にとって私は「家持ち娘」、

妹は「嫁に出した娘」だったのだろう。

 

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お母さん、

私だって一度くらいは上げ膳据え膳でご飯を

食べたかったよ。

 

あ、一度あったね。

風邪で寝込んだ時に、おかゆを作って部屋まで

持ってきてくれた。美味しかった。

嬉しかったのに、ちゃんと言ってなかったね。

ありがとう!って。