人生 ああ鱈腹味わいたい

毒親疑惑の親が高齢になりまして・・・

感情のコントロールができなくなった

いったん解放されたと感じたけれど、

そのあとに続く葬儀や法要で

心身ともに疲れ果てた。

田舎では昔ながらの風習がまだまだ

残っているのだ。

何より人の考え方、価値観が違いすぎる。

 

葬儀の翌日、私は軽くめまいがして

起きられなかった。今日は特に行事が

ないからゆっくり休んでいようと思った。

 

ところが早朝から、仏間の方で片付けを

しているような音が聞こえてくる。

親戚の人たちが後片付けに来てくれたらしい。

通夜と告別式は葬儀場でやったが

実家の仏壇のそばにも祭壇を作り、飾り物や

お供え物がたくさん並んでいたのだ。

 

親戚の人たちが片付けてくれているのに

寝ているわけにはいかない。ふらふらする

体に鞭打って、お礼を言い、一緒に片付けた。

好意で片付けに来てくれていることはよく

わかるが、できれば半日でいいから

そっとしておいてほしかった。

 

四九日までは、七日ごとに法要を行い、

親戚と近所の人たちが集まる。

そのつど墓とお寺で法要をしてもらう。

お寺とのお付き合いも初めてのことで

わからないことが多く神経をすり減らした。

そして、決めつけや思い込みの激しい父

との関係にも疲れた。

 

そんな頃、自分が怖くなった。

感情のコントロールができなくなったのだ。

実家にいると、大きな声で泣き喚いたり、

怒りを止められなくて、ものを投げつけたり

壊したりもした。

 

夫が私の異変に気付き、自宅に帰れと言って

くれた。私も自分が怖くて、心療内科

行くことも考えた。

 

そう言う夫も普通の状態ではなかった。

お酒の量が増え、若い頃に仕事でストレスを

溜めていた時と同じ体の症状が出ていた。

 

それも四十九日が無事に終わり、なんとか

・・・なんとか落ち着いた。

 

 

自宅に戻り、日常の生活に戻った。

続けていた習い事にも復帰した。

仕事帰りにその教室に行く途中

久しぶりの街を歩きながら、深呼吸をした。

 

ああ、幸せだ!!

 

見慣れた通りの風景が、とても新鮮で懐かしく

感じられた。通りをただ歩くだけで、幸せな

気持ちがいっぱい湧いてくるのだ。

涙が出るくらい嬉しかった。

ああ、この街が好きだ。

この街でずっと暮らしたいと思った。

 

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今、実家に行きたくないと思ったり

実家に行くと体調が悪くなったりするのは

上に書いた、母の葬儀後のしんどさが

トラウマになっているのかもしれない。

 

高齢で一人暮らしの父の世話は子供として

できる限りのことはするつもりだ。

でも、実家に戻り父と同居して暮らすこと、

その町の住人となり、寺の檀家になるのは

私には無理だ。

 

そのように、父の世話をすることと、

同居することを分けて考えると

気持ちが少し楽になる。

 

しかし、父にはそれを言えない。

「小春たちが戻ってくるまで一人で頑張るよ」

と同居前提で話をしてくる父に

「実家には戻らない、同居はしない」と言う

のは酷なことに思える。

 

それとも、本心を言わないで黙っている

ことの方が酷なのだろうか。

わからない・・・