人生 ああ鱈腹味わいたい

毒親疑惑の親が高齢になりまして・・・

嬉しいとき 過去の嬉しかったことがよみがえる、そして

友人たちと楽しいひと時を過ごした。

ふとその友人たちと出会った時のことを思い出した。

あの時も楽しくて面白くて、

お腹抱えて笑っていたなあと。

そんな記憶が今をますます楽しくしてくれる。

 

そして・・・

その逆もある。

 

実家に行って父と会い嫌な気持ちになると

昔あった父との嫌な記憶がずるずると

出てきてしまう。

普段は忘れている、忘れたほうがよい記憶なのに。

 

この数年、父は死ぬと言う言葉が口癖になっている。

「俺はもうすぐ死ぬぞ。正月までもたないな。」

「そのあたりでばったり倒れてるぞ。」

孤独死してるぞ。なにせ一人暮らしだからな。」

などなど・・・

 

そういう言葉を聞くと、三十年前に言われた

言葉がよみがえる。

 

「お前が結婚して家を出るなら、死んだほうがマシだ。」

「もう行きている意味がない。」

 

それを言われた時の辛さも同時によみがえってしまう。

今言われた言葉が二倍も三倍も重くなって

私にのしかかってくる。

 

寂しいんだろう。もっとかまってほしいんだろう。

気持ちはわかるが、言われた方はたまらない。

責められているようで苦しくなる。

逃げたくなる。

自分の心を守るため、会いたくない、電話もしたくない。

 

私の同情を引こうと「シヌシヌ」と言うのは

30年前と少しも変わっていない。

シヌシヌ詐欺じゃん。

そんなネガティブな人には誰も近づきたくないよ。

 

親にそういうことを言われると、子供は悲しいし

傷つくんだよ。

今日もふとした拍子に得体の知れない怒りが

こみ上げてくる。何に対する怒りなのかよくわからない。

 

怒りと心の傷は背中合わせ

そんな言葉を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の中の何かが自分を苦しくさせている、それは何?

波がある。

最近、だいぶ気持ちも楽になってきたかなあと

思っていたら、突然の急降下。あえいでいる。

 

原因はたぶん・・・

近々実家に私一人で行く予定だから。

夫の都合が悪く、自分一人で行くと自分が

決めたのに、それがしんどい。胸が苦しい。

 

一人で行くのはいつ以来だろう、1年、2年ぶり?

いつも一緒に行ってくれている夫の存在の大きさに

あらためて気がついた。感謝でいっぱいだ。

 

それにしても、自分の実家に一人で行こうとする

ことがこんなにしんどいなんて、数年前までは

なかった。好きで行っていたわけではなかったが

行かなくてはいけないと頑張れた。

 

自分の本心にフタをして無理していたのかな。

もう無理。行きたくない。

誰かに行けと言われたわけではない、自分が

行かなくてはと思うからだ。父が来て欲しいと

思っていると忖度しているのだ。

 

いつもそうだ。自分の本心より父の気持ちを

大事にしている。これがすべての原因だ。

・・・わかっているのにね。

 

じゃあ、自分の気持ちに素直になれば良い。

行きたくない場所には行かなければ良い!

 

ところが、行かないと決めても、また苦しくなる。

なにかに責められているようで息苦しくて

わ〜〜って叫びそうになる。

 

どうしようもないね。

もし私が人から同じこと相談されたら・・・

「行きたくない」  ← 行かなければいい

「行かなくてもしんどい」← ?!?!

もう勝手にしろーーーとしか言えない。笑

 

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ん?

行っても、行かなくても、どちらもしんどいのなら

同じしんどいなら、行った方がベター?

私はどちらもしんどいけれど、父は行ったほうが

嬉しいだろうから。

 

 

 

 

「獣になれない私たち」がいろんな意味ですごい

「獣になれない私たち」というタイトルから

なんとなく今どきの若者の草食系恋愛ドラマ

なのかなと思っていた。笑

そう「逃げ恥」の続編のような・・・

 

以前から、松田龍平のなんともいえない、

つかみどころのない、煮え切らない不思議な

魅力(そういう役柄が多いのかな?)が好き

だったので、このドラマの初回を見てみた。

 

えーー、いったいなんなんだーーー!!!

いろんなことがありすぎる!

実際にこんな極端な人いる?という人たちが

次々登場してきて、次々トラブルが噴出する。

 

新垣結衣の勤務先のパワハラボス、全く仕事の

できない新人、責任感のない同僚たち、

取引先のセクハラおやじ・・・

 

4年付き合った彼氏はマザコン

自宅マンションに引きこもりの元カノが住み

ついている(妹なのかと思ったら元カノらしい)。

 

そして、ガッキー演じる主人公は毒親育ち。

父親はDV。

父親の死後、母親はネットワークビジネスにハマり

周囲に迷惑をかけ続けて、親子の縁を切っている。

 

こんなありえない状況と登場人物の中でガッキーが

一人で頑張っているが、もういい加減にしてー

と感じた。見ていて楽しいドラマではない。

 

そんなこんなの連続の中で疲れ切ったガッキーを

松田龍平が誘う。そういう軽い男の役なのだ。

即座にガッキーが「そんなバカじゃないですから」

とキッパリ断ったときに、松田龍平が言った言葉が

私の心に染み込んだ。

 

「バカになれたら楽なのにね・・・」

 

ドラマの中のガッキーを見ていて、私もそう思った。

そこまで自分を閉じ込めて周囲のために頑張り

すぎることないよ。もっとバカにわがままになって

いいんだよ。自分のこと一番に考えていいんだよ。

 

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半分は自分に向かってそう思ったのかもしれない。

このドラマほどすごくはないけれど、ちょうど自分の

職場が似たような状況で疲れ果てていた。

 

仕事ってやればやるほど増える。

できる人間に仕事が集中する。

(私ができると自慢じゃなくて、職場の中ではと

いう意味。)

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いつも明るい笑顔で頑張るガッキー

松田龍平はその笑顔がキモいと言うが)

自分のことより周りの人を気遣ってしまう・・・

それって毒親育ちの影響もあるのだろうか?

 

毒親疑惑の私もこれからの展開が気になる。

早く次の回が見たくなってきた。

 

「毎日会う80代母が苦痛の種」高齢になってからの親子共依存?

読売新聞に読者からの相談に回答者が答える

誌上公開人生相談『人生案内』というコーナーがある。

回答者は大学教授、精神科医、弁護士、哲学者などの

先生たちだ。

生き方のヒントになる内容が多くて毎日読んでいる。

 

今朝掲載の相談タイトルに目がとまった。

 

「毎日会う80代母が苦痛の種」

 

相談内容を要約すると

「3年前に夫を亡くした60代パート女性。80代の母との

関係で悩んでいる。2年前に父が亡くなってから毎日

徒歩圏内にある実家で夕食を食べなければいけない。

 

世間体を機にする母が昔から嫌でたまらなかった。

今もヘルパーの悪口を聞かされうんざり、週に一度は

休みを欲しいと言ってもダメだった。

そんな状態にストレスを感じ、母の顔も見たくない

声を聞きたくない、早く他界してくれないかと思ったり

してしまう。」

 

私には素通りできない内容だった。

読んで2つのことを感じた。

 

まず1つ目

世の中変わった。

少し前ならありえない相談だったろう。

 

親孝行するのはあたりまえ。

老いた親を大切にするのは子供の義務。

それがストレスだなんて問答無用、一体何を考えているのだ。

 

そういう意識が根強かった時代が少し前まであった。

今でも一部の、いえ少なからずの人がそう思っている。

私もこれまで何度も説教された。頭ごなしに叱られた。

 

そして、そして、、、そういう意識は自分の中にも

根強く残っている。

だから、しんどいのだ。

 

 

次に2つ目

嫌なら行かなければいいだけ。

なぜそんなに大げさに悩むの?

 

嫌いな人と毎日嫌々あってストレス溜めて心身に

悪影響が出てるなら、会わなきゃいい。

三者としてみると素直にそう思ってしまう。

 

ところが私も自分のことになると、ウダウダと

悩んでしまう。胸が痛くなるのだ。

 

嫌いだと思う人には普通会ったりしない。

恋人や夫婦であっても別れることはできる。

会社だって転職することもできる。

じゃあ、親だったら・・・

いつもここで堂々巡りしてる私だ。

 

まあ、自分のことは置いといて

回答者の方はなんと言っているだろう。

 今日の回答者は大学教授の山田昌弘さんだ。

 

「お手紙を読む限り、お二人で閉じた世界を

作り上げていると感じます。 

・・・中略・・・

あなたは、この関係を変えたいと思っているけれど、

この関係が壊れて一人になる、そして、お母様を

一人にするのが怖いのですね。」

 

親子が二人で閉じた世界を作り上げている

というのは、回答の中に言葉はないけれど

共依存ということだろうか・・・

 

 

さらに回答は続く

「お母様の年齢から言って、今が関係を変える最後の

チャンスと思います。勇気をもって反抗してみることを

お勧めします。

 ・・・中略・・・

 お母様はあなたの反抗に戸惑い、あなたをののしるでしょう。

すねて、泣き落としにでるかもしれません。そうしたら、

どなり返してもよいのです。それで壊れる関係でないと

思います。頑張ってみてください。」

 

80代の親に60代の娘の反抗の勧め!

これが最後のチャンスだという。

 

私も30数年前に反抗した。同居して家を継げという親に

結婚して家を出ると言った。

(結婚して家から独立するのはフツウ!!

反抗になってないと突っ込まれそうだが。笑)

 

そうしたら、山田先生の回答のように

母は「お前なしにどうして生きていけばいいんだ」と

連日泣き落としにでた。

父は「お前が家を出るなら死んだ方がマシだ」とすねた。

 

でも、私はどなり返したりはできなかった。

形の上では、家を出て自分の家庭を作ったつもりだったが

問題は残ったままだったのだ。

真の反抗にはなってなかったのだ。

 

あのとき、どなり返したらよかったのだ。

 

 「私の人生は私のもの、あなた達のものじゃない。

自分達の人生は自分で責任持って!

甘えないで、老後のことは自分達で考えて!」

 

親に向かってなんてこと言うんだ。

そう思った人は幸せな人かもしれない。

親から無条件の愛情を注がれて育った人なんだろう。

 

親に愛されて育った子供なら、親が老いたら

大切にしたいと思うだろう。親から面倒見てね、

老後は頼むよ、などと懇願されなくても自然と

親のことを考えるだろう。本当に愛されてたら、

親が好きなら。

 

私の両親だって、親なりの考えで愛してくれてはいた。

それでも小さな頃から親の希望を子守唄のように

聞かされて育ち、家のことや親の老後のことで

頼られ続けても、私には押し付けにしか思えない。

 

親の人生>子供の人生

としか思えなかった。

 

自分の人生ばかり考えて、私の人生を考えるページが

親の心にはなかった。私が親の希望通りの人生を歩む

ことが、私の幸せだと信じて疑わなかったのだ。

本当に愛されているのだという実感はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そばにいると気持ちが明るくなる人

年に何度か会うだけだが、 一緒に過ごしていると、

気持ちが明るくなって楽しい気分で過ごせる人がいる。

別れた後も暖かな余韻が続き、元気に毎日を過ごせる。

 

何がそうさせるのだろう・・・

いつも笑顔で、前向きで、気持ちをオープンにしている。

その人がいると周囲が和やかで暖かい空気に包まれる。

写真を撮るとみんな笑顔で、私も本当に嬉しそうに

笑っている写真が多い。

 

そんな人が息子のパートナーになり、本当に嬉しい。

息子の人生を明るく照らしてくれるだろう。

2人の幸せを祈りたい。

 

そして・・・

 

そして

 

考えない方がいいのだけど・・・

世の中にはその真逆の人もいる。

口にするのはネガティブなことばかり、愚痴や

人の悪口を常に聞かされる。

毎日そんな家庭で育ったのだとしたら。

その影響は大きい。

 

今度実家に帰ったら、昔のアルバムを見てみよう。

子供の頃の私の写真で笑っている写真がないような

気がするのだ。子供にしては妙に大人びていて

寂しげな表情のものが多かったように記憶している。

 

もう一度よーく探してみよう。笑っている私の

写真がありますように。

 

電話をするのが怖くて、避けてしまう

実家に電話するのが苦手だ。

特別な用がない限りかけないようにしている。

苦手というより怖い。

電話して父が出ないことが怖いのだ。

 

20回ほどベルを鳴らし続けても出ない。

もう一度かけ直しても出ない。

5分後、1時間後、かけ直しても出ない。

どうしたんだろう、何かあったのか・・・

よくない想像が頭を駆け巡る。

夜だと眠れなくなる。

 

結局は出かけていたり、着信に気付かなかっただけ

なのだが、それがわかるまで心がキリキリする。

これまでも携帯を持ってもらったこともあったが

気に入らなくて解約してしまった。

メールなんて仕組みすら理解していない。

いくら教えても、やろうという気が全くない。

 

固定電話だけが頼りだが、留守電をセットする

ことすら嫌がる。

「用があればまたかけ直してくればいい。」

そういう人なのだ。

 

きっと父は思っているだろう。

携帯電話だとか留守電だとか、そんなものは

いらない。小春が実家に戻って同居すれば

なんの問題もないのだと・・・

 

そして時々、父の方から電話をかけてくる。

いつも早朝で電話の音にドキっとしてとび起きる。

親戚の法事などの特に急ぎでもない内容だが

話のついでに私の罪悪感をちくんと刺激する

ような言葉が混じる。

 

電話を切った後も、息苦しくて、心にしこりの

ようなものが残る。深呼吸したり、音楽聴いて

気分転換が必要になる。

 

ああ、やっぱり父との電話は嫌いだ。

電話をあまりしないのは、自分の心を守るためだ。

 

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電話で楽しい話ができるなら、また話をしたいなと

思えたら・・・もっと頻繁に電話できるのに。

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怒りと苦しさの正体

毎日毎日ずっとここに書いているようなことで

うつうつとしているわけではない。

実家から戻って1週間くらいはかなりとらわれて

いることが多いが、日にちが経つにつれ、普段の

生活の中で過ごすうちに、その時間は少なくなっていく。

 

でも、完全に消えるわけではない。

なにかの拍子に繰り返し現れる「怒り」と「苦しさ」。

昨夜のブログを書いたあと、その正体がなんとなく

わかってきた。

 

まず「怒り」について。

小さな頃からずっと言われ続けた言葉の数々から、

私はこんなふうに理解している。

父の望む父の人生には私が必要なのだ。

私は父の人生を満足なものに完成させる部品なのだ。

もちろん部品として父の思い通りにならなければ

父は満足しない。喜ばない。嬉しくない。

 

子供の人生は親のものではない。

私だって一人の人間だ。自分の人生を生きたい。

私はあなたのものではない。

自分の人生は自分で考えろ。

ふざけるなー

そんな怒りだ。

 

次に「苦しさ」について

上に書いたのは本心だけど、それを言えない

実行もできない。それどころか・・・

朝、目をさますとすぐに父のことを考えてしまう。

広い家でポツンと一人で暮らす父の姿が浮かぶ。

元気でやっているだろうかと心配ばかりしてしまう。

胸が痛くなって心が苦しくなる。

 

詳しい知識を持ってるわけじゃないけど

ある言葉が浮かぶ。

アダルトチルドレン