人生 ああ鱈腹味わいたい

毒親疑惑の親が高齢になりまして・・・

親の期待は子供にはしんどい・・・「奈々子に」吉野弘

吉野弘さんの「奈々子に」という詩を

ふとしたことから知った。

一度読んだだけで、心にしみこんだ。

特にこの部分・・・

 

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 唐突だが 奈々子
お父さんは お前に 多くを期待しないだろう


ひとが ほかからの期待に応えようとして
どんなに 自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり 知ってしまったから

 

お父さんが お前にあげたいものは
健康と 自分を愛する心だ

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なんて深い親の愛情だろう・・・

 

いやでも自分のことと比べてしまう。

父から大きく期待された私

父の生きがいになるような期待をかけられた。

 

そして私は自分を愛することを知らない子供だった。

劣等感と自己嫌悪の中で10代を過ごした。

とにかく自分が嫌で嫌でたまらなかった。

 

その後、社会人になり、結婚して家を離れ

子供も生まれ、いろんな人たちと知り合い

人生後半になってやっと自分を認めること

自己肯定感が生まれるようになってきた。

 

それでも、いまだに、自分の中に生き続ける

ネガティブなものを感じる時がある。

ああ、私はダメだと悲観してしまう。

 

「もっと自信を持って!」

「ちゃんとできているんだから自信持って!」

「下を向かないで!」

 

そんな言葉を時おり周りの人からかけられる。

全く違う場所で、違う人たちが同じような

言葉をかけてくれる。ありがたいことだ。

 

昔に比べたら少しずつ自信は持ててる気がしてる。

けれど、人の目にはそう映っていないのだろう。

 

自分の性格のせい?

子供の頃の家庭環境、親のせい?

 

人のせいに、親のせいにするなーー!

と思う。

 

でも、体の中から止められない怒りが

湧き上がってくるのも事実だ。

 

それは、父がまだ期待を捨てていないから。

私が結婚で家を離れたが、それは一時的なことで

いつかきっと私が父の家に戻ると

期待し続けているのがわかるから。

 

奈々子のお父さんなら、なんて言うだろう。

聞いてみたい。

 

心境の変化、ブログアイコンを変えてみた

ブログアイコンを変えた。

 

このブログを始めたきっかけは

2017年のお正月の帰省から戻って

苦しい気持ちをどこかに書きたかったから。

 

その時の自分の気持ちを表している画像を

探してブログアイコンにした。

それがこれ ↓ ↓

 

f:id:fkoharu:20180821165547j:plain

 

親が家が重くてたまらなかった。

本当にこんな状況だった。

 

今も解決はしていない。

実家に行くと苦しくなるのは同じ。

でも、このアイコンは嫌だなーと感じる

ようになった。

こんな苦しそうなアイコンはあまり見たくない。

 

ブログのタイトルになった椎名林檎さんの

「人生は夢だらけ」をいつも歌っていたいなあと

新しいアイコンにしてみた!!

 

♪ これが人生 

私の人生 鱈腹味わいたい

誰かを愛したい 私の自由

この人生は夢だらけ ♪

 

親に泣かれるということ

先に書いた話の続き、

私が結婚して家を出たいと言ったとき

母はどうだったのか。

少しでもフォローしてくれたのか。

 

No!

父とはまた別の意味で強烈だった。

 

「小春が家を出るなら、ワタシはどうしたらいいの。

どうやって生きていけばいいのーーー」

 

母はそう泣き叫んだ。

数日続いたように覚えている。

私が家にいないと生きていけないと言いたい

ようだった。

 

結婚して独立することがそんなにいけないこと?

父からは「死んだほうがマシだ」と泣かれ

母からは「お前なしでは生きていけない」と泣かれ

親に泣かれるのは辛い。今思い出しても胸が痛い。

 

やっと結婚できて新居に入ったときは本当に嬉しかった。

ああ!ここが私のうちだ。もう実家には帰らなくて

いいのだ。心から幸せを感じた。

 

残念なことに、母も変わることができなかった。

人は辛い経験をしたら、そこから学び

自分の生き方を考えそうなものだが・・・

子供には子供の人生がある。子供に頼らずに

自分の人生を生きよう・・・とは思えなかったらしい。

 

以前にも書いたが

 

fkoharu.hatenablog.com

 

数年前に母が亡くなったとき、最後の言葉になったのが

 

「ぜんぶ小春が悪いんだ。

何もかもお前のせいだ。」

そう言って怖い顔で睨み、握った私の手を振り払った。

 

つまりは、母が幸せになれなかったのは私のせい、

母の希望通りに同居して家を継がなかった私のせい

と言いたかったのだろう。

 

気の毒な人だったと思う。

 

自分を幸せにできるのは自分しかいない。

私はそう思っている。

江戸時代の毒親 by 浅田次郎

読売新聞朝刊に掲載中の時代小説

浅田次郎さんの「流人道中記」が面白い。

 

先月はじまりの第1話、まず「万延元年」と

いうのがわからず、グーグルさんのお世話になった。

1860年らしい。

 

江戸末期の物語だ。といって、今のところ

幕末の話は出てこない。主人公は江戸の

貧しい下級武士の青年だ。

時代背景や人物描写にぐいぐい引き込まれていく。

 

先日、主人公が自分の実家をこう述懐していた。

 

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「子が一人少なければ一尾ずつ一把で足りるに」

などと、飯を食いながら父は平気な顔で言った。

 

弟がやがて家に寄り付かなくなったのも、妹が

身持ちの悪い女になってしまったのも、貧乏の

せいではなく父のそうした性根のせいだと思う。

僕だって一日も早く婿養子の声がかかって、

こんな家とはさっさとおさらばしたいと思って

いたのだから。

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子供が一人少なかったら、朝食の目刺しが少な

くてすむ、食費が安くなっていい・・・

そういうことを子供の前で平気で口にする父親。

貧乏であることより、親の性格の方がずっと

子供に悪い影響を与えるということだ。

江戸時代にも毒親はいた。笑

 

そんな小説の本筋ではない些細な箇所が印象に

残ったのは、自分の中で共鳴するものがあったから。

父親のタイプは少し違うかもしれないが。

 

30年ほど前に、私が結婚して家を出たいと言った

時の父の言葉がよみがえった。

 

「小春が家を出るなら、ワシはもう生きている

意味がない。死んだ方がましだ。

お前だけが幸せになってはいけない。」

そう言って、父は車の中でこっそり泣いていた。

 

娘の独立を祝福しながらも寂しい・・・

いわゆる花嫁の父親の涙とは違うと思う。

 

自分の思い描く人生に娘が必要なのに、娘が

出ていくなんてショックだ。なんのために

これまで娘を育ててきたのかわからない。

そんな気持ちだったのだろう。

 

人の性格は言葉に出ると思う。

突然その時、父がそういう言葉を言ったのでは

なく、小さな頃からずーーーっと親のそういう

ネガティブな言葉の中で私は育ってきたのだ。

 

私も早く家を出たくてしかたがなかった。

Me, too!!!

でも、小説の主人公は次男なので家を出られたが

私は女ばかりの姉妹の長女で、出るにはハードルが

高かった。

江戸時代でもないのにどうして?って信じられない

だろうが、私の育った家はそうだったのだ。

 

そして、そんな30年以上前に言われた言葉にまだ

こだわっているのかと自分に腹がたつ。

家を出て親との距離ができてからは、そんな言葉は

忘れていた。ところがこの数年、親が高齢になり

頻繁に実家に行くようになり、距離が近くなった。

そして親が30年前と全く変わっていないことに気づく。

 

「ワシはもうダメだー。

そのうちどこかで倒れてるぞ。

孤独死してるぞ。」

 

最近そんな言葉がたびたび父の口から出る。

私に実家に戻って同居してほしいのだ。

 

高齢の一人暮らし、寂しいのはわかる。

でも、そういうネガティブな言葉を聞くたびに

しんどくて息が苦しくなり、心がズキズキ痛む。

 

傷つくんだよ。

親のそういう言葉に子供は傷つくんだよ。

 

問題は、帰省から戻ってもしんどい気持ちが続くこと

今年のお盆の帰省は3日間で切り上げた。

ストレス溜めるのはわかっているから

3日間限定で頑張ろう、我慢しようと思った。

 

実家にいる間も

1日目:あさってには自宅に帰れる

2日目:明日には帰れる

3日目:今日頑張れば、夜には解放される

 

そう思うと気持ちが少し和んだ。頑張れた。

 

そして自宅に戻り、心が軽くなって、

のびのびするのを感じた。

 

それで日常の生活に戻れたらいいのだが・・・

自宅に戻った翌日から再び気持ちが重くなる。

これが問題なのだ。

 

実家のこと父のことばかり考えてしまう。

さらに亡くなった母のことまで考えて

心の中に風が吹き荒れる。

考えて何かいい結果に繋がるのならいいが

どうしようもないことだ。

 

考えるだけ時間の無駄。心身の健康にも悪い。

それはわかっているのに、うつうつ、くさくさと

考えてしまう。

 

いつも実家から帰ってきたときはそんな感じが

1週間ほど続く。

 

特に今はまだ仕事が夏休み中なので、自由な時間が

あるだけ、考え込んでしまう。

胸が痛い。重い。息苦しい。

なんだろう? 罪悪感? 

訳のわからない怒りもこみ上げてくる。

 

嫌だったけど、頑張ってきたのに、なんで今また

こんな気分になってしまうのか。

頑張ったーーー、さあ自分の生活を楽しもうーー

っと切り替えられないのか。

 

これが一番の問題なのだ。

 

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「毒になる親」だったか「不幸にする親」だったか

(どちらも毒親本の代表作だが)

 

毒親は子供に罪悪感を植え付ける

毒親に育てられた子供は怒りの感情を持つ

 

そんなふうに書かれていたと思う。

ならば、小春の親もやっぱり毒親ですかね・・・

 

人から見たら、とてもいい親なんだろう

ちょっと頑固だけど子供思いの父親だろう

私自身そう思うところもある。

 

でも、苦しい。叫びそうになる。

私は親のために生まれてきたのではない。

 

じゃあ、自分の人生を生きろよと思うが

どうしても、なにかが邪魔をしてしまう。

苦しくなるのだ。

 

お盆。しんどい。髪も抜けるよ。

お盆。

私には嫌な季節だ。

行きたくないと思いながらも、今年も行ってしまった。

 

行く数日前から、気持ちがどよんと重くなってくる。

息苦しくて無意識にため息が出る。

 

そんな状態で実家に向かう。

今年はなんとか3日間だけの滞在にした。

来客のための家事ざんまい。

 

高齢の父が一人で暮らしている古くて大きな家。

きれい好きな父なので、ゴミ屋敷にはほど遠いが

やはり年には勝てず、汚れやホコリが目につく。

何をするにもまず掃除から始めなければいけない。

 

そして今年の猛暑。

エアコンは4台あるが、食事と寝る時間以外は

30度を超える部屋で動き回った。

 汗が目に入って痛い。首が汗で赤くかぶれた。

 

そして父のやかましさ。

冷蔵庫の開け閉め、食器の洗い方、ラップの使い方

そんな些細なことまでいちいち文句を言われる。

「ウルサーーーイ!! もう帰るわよ!!」

と何度かお腹の中で叫んだ。グッと我慢した。

 

そして親戚の人たちとの何気ない会話や

父のグチの数々・・・

本人たちにそのつもりはないのかもしれないが

(いや、あるかもしれない)

小春は何やってんだ。早く実家に戻って同居しろ

と責められてるように聞こえる。

針のムシロだ。

ギャーーーっと叫びたくなって、グッとこらえる。

 

私の受け取り方の問題なんだろうけど・・・

小さな頃から何十年と積み重なった思考癖は

ちょっとやそっとでは治らない。

 

自分の心の中は誰にも見せないから

人から見たら、日本全国あちこちで見られるお盆の

帰省風景に見えるだろう。

毎年この時期には、TVニュースで楽しそうな帰省の

光景が映り、故郷に帰る人と故郷で迎える人の

美談風にまとめられている。

私のような変わり者はいないのかなあ?

 

あ! ここまで書いて気づいた。

私は、帰省する人でありながら、帰省した途端に

人を迎える側の人間にならなくてはいけないのだ。

一人二役。そりゃ大変だよ。

 

2日目の朝、自分の枕を見てギョッとした。

抜けた髪の毛が10本以上枕カバーにくっついていた。

い・や・だ・・・・

 

そういえば、以前父に言われたことがある。

「小春が帰ってくると、家の中にお前の髪がたくさん

落ちていて汚い!」と私のものらしい髪の毛を

指で拾い上げなら叱られた。

 

髪の毛がSOSを発信している?!?

まさか・・・笑

 

上げ膳、据え膳

母は料理が苦手だったので

私が食事の支度や後片付けをすると

すごく喜んだ。

 

「上げ膳、据え膳でご飯が食べられて

これほど嬉しいことはないよ。」と

ニコニコして言った。

 

それもあって、実家に行った時は

私が食事を作るのが当たり前になっていた。

そのたびに「上げ膳、据え膳で嬉しい」

と喜んでいた。

 

普段の食事だけでなく、お正月もお盆も

親戚が集まる時も、私の役目になっていた。

あまりやる気がなくて作り出すのが遅れると

何時だと思ってるの! とか

早く作ってよ。と叱責がとんできた。

 

「上げ膳、据え膳」というのは、自分は

何もしなくても、食事が食べられて

後片付けも人にしてもらえることだと

思っていた。

旅館に泊まった時の食事のイメージだ。

 

ところが、それは一つのたとえであって

本来は「全て人にやってもらい、自分では

なにもしないこと」という意味だそうだ。

 

すごく納得した。

食事のことだけではない。

母はいろんな意味で上げ膳据え膳の人だった。

 

とにかく、できないと言うのだ。

新しいことを敬遠してしまう。

家電だって、なんでも私にやってと言うから

説明書を読めばわかるはず、自分でやって

みればと言っても、読もうともしない人だった。

 

そんな母だが、妹が実家に帰った時は違った。

上げ膳据え膳で妹をもてなした。

まるで母が旅館の従業員で、妹が客のような

至れり尽くせりのサービスに思えた。

 

母に言わせると、妹は旦那さんの両親と同居し

気苦労も多いから実家に帰った時くらいは

楽させてあげたい。

小春はいつも楽してるんだから、実家では色々

やってね、ということらしい。

 

確かに私は義理親と同居の気苦労はないけど

・・・そこまで露骨に差をつけられると

寂しい気がした。

 

やはり母にとって私は「家持ち娘」、

妹は「嫁に出した娘」だったのだろう。

 

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お母さん、

私だって一度くらいは上げ膳据え膳でご飯を

食べたかったよ。

 

あ、一度あったね。

風邪で寝込んだ時に、おかゆを作って部屋まで

持ってきてくれた。美味しかった。

嬉しかったのに、ちゃんと言ってなかったね。

ありがとう!って。