人生 ああ鱈腹味わいたい

毒親疑惑の親が高齢になりまして・・・

「毎日会う80代母が苦痛の種」高齢になってからの親子共依存?

読売新聞に読者からの相談に回答者が答える

誌上公開人生相談『人生案内』というコーナーがある。

回答者は大学教授、精神科医、弁護士、哲学者などの

先生たちだ。

生き方のヒントになる内容が多くて毎日読んでいる。

 

今朝掲載の相談タイトルに目がとまった。

 

「毎日会う80代母が苦痛の種」

 

相談内容を要約すると

「3年前に夫を亡くした60代パート女性。80代の母との

関係で悩んでいる。2年前に父が亡くなってから毎日

徒歩圏内にある実家で夕食を食べなければいけない。

 

世間体を機にする母が昔から嫌でたまらなかった。

今もヘルパーの悪口を聞かされうんざり、週に一度は

休みを欲しいと言ってもダメだった。

そんな状態にストレスを感じ、母の顔も見たくない

声を聞きたくない、早く他界してくれないかと思ったり

してしまう。」

 

私には素通りできない内容だった。

読んで2つのことを感じた。

 

まず1つ目

世の中変わった。

少し前ならありえない相談だったろう。

 

親孝行するのはあたりまえ。

老いた親を大切にするのは子供の義務。

それがストレスだなんて問答無用、一体何を考えているのだ。

 

そういう意識が根強かった時代が少し前まであった。

今でも一部の、いえ少なからずの人がそう思っている。

私もこれまで何度も説教された。頭ごなしに叱られた。

 

そして、そして、、、そういう意識は自分の中にも

根強く残っている。

だから、しんどいのだ。

 

 

次に2つ目

嫌なら行かなければいいだけ。

なぜそんなに大げさに悩むの?

 

嫌いな人と毎日嫌々あってストレス溜めて心身に

悪影響が出てるなら、会わなきゃいい。

三者としてみると素直にそう思ってしまう。

 

ところが私も自分のことになると、ウダウダと

悩んでしまう。胸が痛くなるのだ。

 

嫌いだと思う人には普通会ったりしない。

恋人や夫婦であっても別れることはできる。

会社だって転職することもできる。

じゃあ、親だったら・・・

いつもここで堂々巡りしてる私だ。

 

まあ、自分のことは置いといて

回答者の方はなんと言っているだろう。

 今日の回答者は大学教授の山田昌弘さんだ。

 

「お手紙を読む限り、お二人で閉じた世界を

作り上げていると感じます。 

・・・中略・・・

あなたは、この関係を変えたいと思っているけれど、

この関係が壊れて一人になる、そして、お母様を

一人にするのが怖いのですね。」

 

親子が二人で閉じた世界を作り上げている

というのは、回答の中に言葉はないけれど

共依存ということだろうか・・・

 

 

さらに回答は続く

「お母様の年齢から言って、今が関係を変える最後の

チャンスと思います。勇気をもって反抗してみることを

お勧めします。

 ・・・中略・・・

 お母様はあなたの反抗に戸惑い、あなたをののしるでしょう。

すねて、泣き落としにでるかもしれません。そうしたら、

どなり返してもよいのです。それで壊れる関係でないと

思います。頑張ってみてください。」

 

80代の親に60代の娘の反抗の勧め!

これが最後のチャンスだという。

 

私も30数年前に反抗した。同居して家を継げという親に

結婚して家を出ると言った。

(結婚して家から独立するのはフツウ!!

反抗になってないと突っ込まれそうだが。笑)

 

そうしたら、山田先生の回答のように

母は「お前なしにどうして生きていけばいいんだ」と

連日泣き落としにでた。

父は「お前が家を出るなら死んだ方がマシだ」とすねた。

 

でも、私はどなり返したりはできなかった。

形の上では、家を出て自分の家庭を作ったつもりだったが

問題は残ったままだったのだ。

真の反抗にはなってなかったのだ。

 

あのとき、どなり返したらよかったのだ。

 

 「私の人生は私のもの、あなた達のものじゃない。

自分達の人生は自分で責任持って!

甘えないで、老後のことは自分達で考えて!」

 

親に向かってなんてこと言うんだ。

そう思った人は幸せな人かもしれない。

親から無条件の愛情を注がれて育った人なんだろう。

 

親に愛されて育った子供なら、親が老いたら

大切にしたいと思うだろう。親から面倒見てね、

老後は頼むよ、などと懇願されなくても自然と

親のことを考えるだろう。本当に愛されてたら、

親が好きなら。

 

私の両親だって、親なりの考えで愛してくれてはいた。

それでも小さな頃から親の希望を子守唄のように

聞かされて育ち、家のことや親の老後のことで

頼られ続けても、私には押し付けにしか思えない。

 

親の人生>子供の人生

としか思えなかった。

 

自分の人生ばかり考えて、私の人生を考えるページが

親の心にはなかった。私が親の希望通りの人生を歩む

ことが、私の幸せだと信じて疑わなかったのだ。

本当に愛されているのだという実感はなかった。