人生 ああ鱈腹味わいたい

毒親疑惑の親が高齢になりまして・・・

書かずにいられない!!

しばらく更新していなかった。

ひょっとしたら、もうここに書かなくても

悩まずやっていけるかもしれない

日々明るく過ごせるかもしれない

そんな期待を持っていた

平昌オリンピックも楽しめていたし

 

が・・・

残念なことに、今日の私はここに書かずにいられない

息苦しくて、胸が痛くて、心拍数あがってる

 

 

この週末、久しぶりに実家に行った

以前に比べ行く回数を減らしているので

(やはり、距離を置くことは絶大な効果がある)

それほど重い気持ちにはならずに、父と過ごせたのだが

 

 

帰る時間が近づくと、父が言う

「小春、今度はいつ来るんだ?

今度来る日が待ち遠しくてたまらない

もうあちこち具合悪いし、あれもこれも・・・」

と愚痴と自己憐憫がえんえんと続く

 

 

要するに、ずっと小春に実家にいてほしいわけだ

高齢の一人暮らし、心細いし不安なのもわかる

でもでも、それをいわれると小春の心はズキズキ痛む

自宅に帰っても元に戻らない

 

高齢の親 子供に依存」で検索していろんなサイトを

読みあさっていた

同じようなことで悩んでいる人が多い

そういう人たちに共感しても、胸の痛みは治らない

誰にも言えない気持ちをここに書くしかない

 

 

普通の親子だったら

「うん、できるだけ頻繁に来るね」とにっこり笑って

言えるのだろうか

 

友達に話しても、

「たったそれだけのことで苦しいなんて、考えすぎでしょ」

「お父さん、小春に甘えているのよ。もっと行ってあげれば」

などと言われるだろう

人にはわかってもらえないことが、さらに辛さを増す

 

私が今こんなに苦しいのは

"罪悪感"

だと思う

 

いくら物理的に距離を置いても

"罪悪感" は無くならない

きっと心理的に私が親に近づきすぎているのだろう

自分ではコントロールできないのだ

 

 

先月、苦しくなかったのは、心理的にも離れられていた

つまり、普段の暮らしであまり父のことを考えないで

いられたからだと思う

それでも、1日に1回か2回くらいはどうしているかなと

思うことはあったが、苦しくなることはなかった

 

 

"親を幸せにしなくてはいけない"

"小春だけが幸せになってはいけない"

こう言って自分で自分を責めているのかもしれない

 

子供の頃から何十年もかけて蓄積してきた

一種のアレルギーみたいなものだ

 

 

以前読んだ本にこう書いてあったのを思い出した

毒親は子供に罪悪感をうえつける」