人生 ああ鱈腹味わいたい

毒親疑惑の親が高齢になりまして・・・

空き家になった実家

お盆が終わった。

日常が戻って来たが、心は重苦しい。

 

父が亡くなり、縛りから解放されると

思ったが、今度は親戚から言われ

続けている。

 

もういい歳なんだから、仕事なんか

やめて田舎でのんびり暮らしたら

いいじゃないか。

家は空き家にしておくと良くない。

月に何度か帰って来て風を通すくらい

ではだめだ。実際に住んで人が暮らさ

ないと家は傷んでいく。

 

田舎に帰って、家を土地を墓を

守っていけということだろう。

この数ヶ月会うたびに繰り返し

言われ続けている。しつこい!

 

どうしてあなたにそんなことを

言われないといけないのか。

私の人生だ。

自分のやりたい仕事を続け、

自分の住みたい街で暮らし続けたい。

残りの時間はそんなに多くない。

大切に使いたい。

 

その人は旧家の長男で、見事に

長男のつとめ(古っ!)を全うしている。

家を守り、土地を守り、冠婚葬祭を

抜かりなくこなし、伝統や風習を守り、

世間体を大事にしている。

それはそれで一つの生き方だろう。

 

自分が一番良いと信じている生き方だから

人にも同じようにさせたいのだろう。

悪気がないのはわかるが、人の生き方に

干渉しないでほしい。

 

小さな頃から続いた苦しい親子の関係から

解放されたと言うのに、次はこれか・・・

 

何を言われても軽く聞き流して

自分の道を行く。

そんなおおらかさが自分に欲しい。

「べきおばけ」は自分の中に住み着いている

暑い夏。お盆。

今日から実家に帰る予定で、朝から買い物

行ったり、準備中だけど、体が重くて捗らない。

久しぶりにハーーーーーっと大きなため息が

止まらなくなった。

 

苦しくなってブログ書いてるけど、この調子

では、いつ実家に向かうのかと・・・笑

 

久しぶりのブログだけど、この半年に大きな

変化があった。

父が亡くなった。突然に。

 

だから実家にはもう誰もいないのに、

帰らなくてはいけない、初盆だから。

 

8日の夜、NHKクローズアップ現代という

番組を偶然見た。テーマは「老後のお金」と

「引きこもり」。

最初はなんとなく見ていただけだったけど

「ひきこもり」の部分で心をぐっと掴まれた。

 

「親の面倒は子供が見るべき」と書かれた

パネル?のようなものを叩き割っている。

他にも「仕事すべき」とか「・・・べき」と

社会規範のようなものが書かれていて、それを

ひきこもり経験者が叩き割っている。

 

ひきこもりの人たちを縛り付けている

「・・・すべき」という価値観を「べきおばけ」

と呼んで、キャラクターまで登場していた。

 

私もこの「べきおばけ」に縛られている。

親から周囲から何十年も言われ続け、両親が

亡くなった後も、自分の中に住み着いている。

 

止まらない大きなため息と息苦しさは

この「べきおばけ」のせいかも。

 

 

実家に帰りたくない理由

10代の頃

私は自分を「カゴの中の鳥」だと感じていた。

親に自分の人生を決められ、自分の羽で空を

自由に飛べない鳥。

息苦しかった、悲しかった。

 

毎日のように日記に気持ちを書いた。

今 ここであれこれ書いているのと同じだ。

友達にも相談したが、あまり理解してもらえ

なかったし、辛い気持ちが小さくなることも

なかった。

 

もし、親が子供を本当に「カゴの中の鳥」状態

にしたら?家に閉じ込めて外に出さなかったら?

あきらかな虐待だ。深刻な虐待だ。

 

じゃあ、精神的に「カゴの中の鳥」と思っていたら

小さな頃からずーっとそう感じて辛い思いをしていた

としたら精神的な虐待になるのじゃないの?

 

他人の目から見ると、今の私は「カゴの中の鳥」では

ないだろう。結婚して外に出られた。自分の暮らしを

しているように見える、それもかなり自由に。

 

でも、私の心の中にはまだ「カゴの中の鳥」の私がいる。

だから、実家がカゴに思えて帰りたくないのだ。

 

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鳥カゴじゃなくて、暖かい鳥の巣だったら・・・

親の愛情いっぱい受けて育って、成長して、これからは

自分の羽で飛ぶんだよと送り出してもらっていたら

たまに実家に帰るのも嬉しいのだろうな。

 

 

 

 

12月は憂鬱 「・・・しなくてはいけない」ことばかり

12月といえば何を連想するだろう。

クリスマスでわくわくする人も多いだろう。

 

私は12月が1年の中で一番嫌いだ。

寒いし、日照時間が短くて暗く感じる。

冷たい風がヒューヒュー吹いて

人たちが慌ただしく動いている。

 

そして何より「・・・しなくてはいけない」

ことが多い。お歳暮に大掃除に年賀状・・・

年末年始に実家に行かなくてはいけない。

帰省して、帰省してくる人たちをもてなす

一人二役だ。ずっと何十年も。

 

だから12月は憂鬱だ。

これではいけないと、趣味に没頭したり

映画見たり、友達とおしゃべりしたり

目の前の仕事に集中したりしてみるが

ふと我にかえると、ハァーーーーっと

大きなため息が出てくる。

心の中がモワモワして、得体の知れない

怒りがこみ上げてくる。

 

もう何もしたくない。

冬眠したい。

 

住み続けたい街

近所を少し散歩してきた。

12月の夜にしては寒くない。

薄雲のかかったぼんやりした月が出ている。

雨上がりの歩道、しっとりする。

 

ああ、この街が好きだーーー

あらためて感じた。

通りから聞こえる車の音さえいとおしい。

 

今 住んでいる街をこんなふうに思えるのは

幸せなことだ。

 

たぶん、その気持ちの裏側には

帰りたくない、住みたくない場所があるから、

よけいにそう思えるのだろう。

 

帰らなくてはいけない、住まなくてはいけないと

親、親戚などから何十年と言われ続け

自分の心の中にもそうしないといけないという

気持ちが染み込んでいて

それとずっと闘ってきたから。

 

ここは自分が自分でいられる

ほんとにくつろげる、ホッとできる

ああ大好きと思える街、そしてわたしの家。

ここでずっとずっと暮らしていきたい。

一人暮らし、同居、どちらもメリット・デメリットあり

しばらく実家には行かないことにした。

いえ、行かないという選択肢もあるなと思った。

 

何か用事があるから帰って来てくれ、とか

久しぶりに小春の顔が見たい、とか

美味しいもの貰ったから鍋でもしよう、とか

そんな話は一切ない。

からしない限り父からは連絡もない。

 

親の気持ちを忖度して

「実家に行かなくてはいけない」と思う私が

「行きたくない」と言う私に無理やり行かせて

きたのだと思う。

 

なぜ「実家に行かなくてはいけない」と思うのか。

親が好き、会いたい、一緒に食事したい

それなら「実家に行きたい」になるはず。

 

今、私の心の中でグルグル渦巻いている怒りがある。

実家に行った時の父の言葉だ。

「小春が帰ってくるとうるさくてたまらん!

もっと静かにできないか。」

 

私が台所で食事の準備や片付けをする時の音が

うるさいのだと言う。水を使う音、食器棚や

冷蔵庫の開け閉めの音、椅子をひく音、

事細かく文句を言われる。

 

そんなに大きな音を出しているつもりはない、

長年のマンション暮らしで生活音には気を

使う習慣が身についてると思う。

 

普段は好きな音楽を聴きながら家事をするが

実家にいる間は父はこういう音楽は嫌がる

だろうと我慢している。

 

ダイニングチェアをひく音がやかましいと

言うから、椅子の足につけるクッションを

買ってきてつけたが、それでもうるさいと言う。

こうやって椅子を持ち上げてひくんだと

手本を示しながら怒る。

 

父は補聴器をつけているので、そういう

生活の雑音が大きく響くのではないかと

言うと、そんなことはない!とまた怒る。

 

静かなのがよければ一人で暮らせば?

と言いたくなる。

 

そればかりではなく、本当に小言が多い。

食器の洗い方、片付け方、掃除の仕方、

などなど、私のやり方が気に入らない。

自分のやり方でさせたいのだ。

 

じゃあ、自分でやれば?

 

そして最後に必ず言う。

「小春たちが来るとゴミが増えて困る!」

 

一軒の家で何人かが一緒に過ごせば

一人でいる時より音も増えるし、ゴミも増える。

 

そして誰だって自分の家事のやり方がある。

それをなんとかうまくゆずりあい調整しながら

暮らしていくものじゃないのかな。

 

一人暮らしと同居、どちらにもメリットと

デメリットがあるはず。

父のように、娘夫婦と自分の家で同居しながら、

全て自分の思い通りに暮らしたい(つまり

両方のメリットだけ)と言うのは成り立たない。

 

ここまで書いて気がついた。

問題の根っこはここなんだなと。

父は確固たる自分の考え・やり方を持っている。

それはいいことだ。

でも、自分の考え・やり方を人に強制する。

本人は強制と思っていないだろう。

自分が正しいと信じ込んでいるから

正しいことを人に教えている気分なんだろう。

 

人にはその人なりの考えややり方がある。

どうするかはその人が自分で決めること。

それを父はわからない。私が小さな頃から。

 

やっぱり実家に行くのはしばらくやめよう。

行きたくないと言う自分の気持ちを大事にしよう。

会って楽しくいい時間を過ごせるなら行くけど

嫌な思いをするとわかっている場所には行きたくない!

 

お父さん、寂しい?

仕方ないね。自分が蒔いた種だよ。

(父に直接言えないからここに書いている。)

 

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少し前、ある会合で耳にした話題・・・

親が高齢になると、実家に行って世話をしている

人も多い。その人たちの話の中で

 

「母があんまりワガママ言うから、そんなこと

言うならもう帰る!って怒ったら、母ももう

来なくていいよ!って大声出すの。」

 

そんなふうに憤慨しながら話していた人がいた。

そう言いつつ、彼女はまたお母さんの世話を

しに行くのだろうなあと思った。

 

ストレスなことがあっても、彼女みたいに気持ちを

ぶっちゃけられたら、少しは楽かもしれない。

私はどうして父に本音をぶつけられないのだろう。

 

こんなにこんなに叫びたいほど言いたいことが

あるのに、なぜ言えない?

だから苦しい。

胸の中にいっぱい溜まって苦しい。

因果応報、なにごとにも原因がある

私はそれほど冷酷な人間ではない。

人に対する優しさだって持っているつもり。

常識はずれの人間でもない。

 

そんな私が実家や親に対して

こんなに長年にわたって嫌な感情を持ち

続けているのには原因があるはず。

 

小さな頃からの親との関係で

私が嫌だ辛いと感じることが続いた結果

今の現実があるのだと思う。

 

仕方ないよ。

あなたが自分で蒔いた種だよ。

子供が会いたい、そばにいたい、と思える

親じゃなかったんだ。

 

悪気があったのじゃないことはわかる。

親なりに一生懸命育ててくれたのもわかる。

でも、もう限界。

こんな息苦しい毎日から解放されたい。

 

新しい章へ進もう。